◆JOY 喜び

Joy 喜び (海外文学)

OSHOの著書は、むか~し昔、『反逆のスピリット』を持っていました。表紙デザインのセンスがかなり残念な感じだったためよく覚えているけど、内容はどんなだったかな?よく覚えていません。現在中古本でなんと5千円以上の値が付いてました。びっくり。実家にまだ残っているかなと思って探したら、捨てた覚えはないのだけど出てこなかったわー。残念。

彼に限らず本屋で「精神世界」に分類されるような本(今ではスピリチュアルっていうの?)は、学生時代、時々購入していて、特に何の先入観もなく手にしていたのだけど、後でOSHO=カルト教団の教祖、というような噂?評判?を耳にして、え~?そうなの?という感じでした。80年代のアメリカでは彼のこと、テロリストさながらの扱いだったようだけど、今、再び彼のことが見直されてきているみたいですね。彼がなくなった1990年から20年以上。アメリカも、色々あったものね…。

 

今回読んだ『Joy』は『反逆の~』に比べると、ぐっとファンシーで乙女な表紙デザイン。表紙を開けようと手をかけるとちょうど目に入る場所にある、ちょこんと控え目なゾウさんモチーフが良いです。それから、山川ご夫妻の訳も秀逸。元ネタは英語である、ということを意識し続けながら読み進めなきゃならないっていう、翻訳本にありがちな苦しさを私はあまり感じなかったです。

 

下ネタ的ジョーク満載の講話だったり、アメリカをはじめ諸外国から危険人物扱いされていたり、スキャンダラスなスピリチュアルリーダーっていう印象が強いのに、中身を読むと、「なんだよ、この人すっごいまともじゃないか。」と、拍子抜け~。そういえば、数々の語り継がれている逸話とその見た目から、「かなりイッちゃってる」印象を強く与えるラーマ・クリシュナさまも、信じられないほどの常識ある講話を残しています。この本の中でOSHOさん自身が語っている、正にその通りなのかもしれません。

「狂人と神秘家はどこか似ている。<中略>神秘家はマインドを超えている。また神秘家は秩序を持って狂っている。その狂気の中には秩序がある。」

[第四章 惨めさの原因を理解する]


 

「響いた!」って箇所に付箋を貼りつけながら読み進めていったら、付箋だらけで付箋の意味がなくなってしまいましたヨ。以下、別に選りすぐりとかじゃなくて、付箋のあるところぱっと開いていくつか引用しただけ。で、このクオリティ。いやぁ、ぐいぐい心をえぐってきます~。(って私だけかな?)

 

「一瞬、幸せのように見えたものが、次には不幸せに変わってしまう。幸せが不幸せに変わるということは、この二つが別のものではない、ということを示しているだけだ。おそらく同じコインの二つの面なのだ。もしあなたがコインのひとつの面を持っているなら、その裏側には必ずもう一方が隠れていて、あらわれる機会を待っている。―しかもあなたはそれを知っている。あなたが幸せな時、心の深いどこかに、これは長くは続かないだろう、遅かれ早かれこれは終わってしまうだろう、夜がやってくるだろう、いつか自分は暗闇に飲み込まれるだろう、この光は想像にすぎないのだ、という密かな恐怖がある―」

[第二章 追求]


「普通、私達が喜びだと考えているものは喜びではない。もっとも良くて娯楽なのだ。それは自分自身を避ける方法にすぎない。それはあなた自身を中毒させる方法であり、それは何かにおぼれることによって、あなたの惨めさ、心配、苦悩、不安を忘れるための方法なのだ。」

[第三章 苦しみからエクスタシーへ]


「あなたはエゴのメカニズム全体を理解する必要がある。もしあなたが許そうとお力するならば、それは本当の許しではない。努力を伴う時、あなたは抑圧しているだけだ。<中略>しかし、エゴは許しによって生きることも出来る。それは「私は許しました。私は自分の敵さえ許しました。私は普通の人間ではありません」という考えによって、新しい栄養を取り始めることができるのだ。」

[第四章 惨めさの原因を理解する]

 

多かれ少なかれ、心に揺さぶりをかけてくる本(のハズ)だと思います。読むタイミングによっては、本気でパラダイムシフトが起こるかもしれません。ピンときたらぜひどうぞ。

反逆のスピリット