◆禅をきく(臨済会 講演会)

円光寺で見かけたチラシにひかれて、作家の田口ランディさんがお話されるってことで、ほほぅと思い、「禅をきく」って講演会に行ってみました。有楽町の駅前に、会場はコチラって案内板を持った和尚さんたちがいて、チケットのもぎりも和尚さんたち、とちょっと新鮮な雰囲気でした。かといって、写真撮るのも失礼な気がして、撮影は出来なかった(笑)。成願寺、円光寺の住職さまたちを観ていてもいつも思うことですが、僧侶のかたがたというのはひとつひとつの立ち居振る舞いすべてが本当に美しくて素敵だな~って。さっと正座になったり、すくっと立ちあがったり。

さて、ランディさんの講演内容、長らくうつ病を患っていた友人を亡くしたという重いお話で、ランディさんの言うには病は気からと言うけれど、これは病はコトバからというのと同義なのではないか?ということでした。

大人になると誰もが少なからず弁が立つ司令官のような人格を自分の中に持ってしまう。で、例えば彼(彼女)が理想とするセルフイメージから自分の現実が逸れてしまうと、こんな筈ではない!このままじゃマズイ!何している、自分!と色んなコトバで騒ぎたて、自分自身を苦しめ始める。これが孤独な心の独り言。そのコトバが制御不可能になってくると、解決策のない無限のループのような物語が頭の中に展開されて抜け出せなくなってしまう。たったそれだけのことと言えばそれだけのこと。だけど、これをず~っと続けることは実はものすごくエネルギーを消耗する。そのうち普通の生活を送るだけのエネルギーも無くなってしまう。それがうつ病という状態なのだと。でも、まだまだ世間一般ではこの病への理解が足りないとも仰っていました。

で、お釈迦様というのはコトバとは何か、その性質をよく理解していたかたなのだと思います、というお話に繋がっていきました。人間が持つ意識の正体は実はコトバであり、人間が抱えている悩みというのも結局はコトバ(ストーリー)に過ぎないのだ、ということ。お釈迦様はそのことに気づいていたのではないか、と。

昔勤めていた職場にはいわゆるうつ病状態で休職する人とか、結構たくさんいました。私のような人間にはなかなか理解し難い病気だったので、本人とは腫れものに触れるように接しつつ、正直、「これは本当に病気なのか?怠けているだけとの境目は一体どこにあるのか?」と内心思ってしまうこともあった過去の自分を反省。そんなことで悩むのはおかしいんじゃないか、と思うのはあくまでも私のものさしで測っているからだったんだな、と。

ランディさんのお話、ヨーガスートラⅡ-20~24あたりのプルシャとプラクリティが結合する原因は無明であるっていう理論にも通ずるところがあるというか。こういう書物をちょっとかじっておくだけでも、死ぬほど苦しむ前に対処可能なんだよな~と思う。そんなわけで、最近改めてヨーガスートラが面白いです。別にこれが至上の哲学だというわけじゃないんですが、やはり思わず膝を打ってしまうようなことがたくさんあります。すげ~。いつかスートラの座学とかやっていけるといいな。