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マインドフルネスと倫理

昨今のマインドフルネス・ブームを、苦々しい思いで見てる仏教徒は多いと言われています。

(当の界隈の人は「マインドフルネスはもはやブームではない、ビジネスパーソンのスタンダードだ。」とか言いそうですが。)

 


こっちは本物、あっちは偽物?

 マインドフルネスという「テクニック」を仏教の八正道からは切り離し、この技術を身に着ければビジネスで成功しキャリアを築くことに役立つ、みたいな文脈で紹介されているわけですから、仏教徒たちが苦い顔になるのもわかる気がします。

例えば、もう遠い昔のことのようですが(ホントは約2年前)、キム・カーダシアンが矯正下着ブランドを「KIMONO」と名付けた時、京都をはじめとする日本の着物愛好家たちが猛烈に抗議して1週間ほどで撤回させたじゃないですか。事程左様に「本流」側の人というのは、剽窃されることを嫌うわけです。「あんなものは偽物だ」とか、「本物に対する敬意が感じられない」というように。(ヨガに関してはもう沼ですしね。)


マインドフルネスは有害な行動にむすびつくか?

さてそんな中、『マインドフルネスは有害な行動にむすびつくか?』

これ、面白い論文でした。 

瞑想がエゴイズムを増長する、というような議論は最近チラホラと出てきていて、割と興味があるところです。

物凄く雑な説明で恐縮ですが、仏教において、「自分や他者に危害を加えることなく慈しむべきである」という倫理基盤の上に成り立つ一要素サティを切り取って英訳を付与し、「これは宗教ではありません、あなたの人生を好転させるテクニックです」と謳っているのが今流行りのマインドフルネスです。具体的には「今、ここ」に注意を向けるスキルのことなのですが、それを習得することで<何らかの分野>におけるパフォーマンスを上げられますよ、というマーケティングがここ10年ほど続いています。


目的遂行のためのスキル

この<何らかの分野>というのが、通常はスポーツだったりビジネスだったり勉強だったりするわけだけれど、もっと「ヤバいこと」にだって使えるんじゃないのかっていうのは私も前々から思ってはいたのですが、やはり既に指摘されているようですね。例えばテロリストなどの犯罪者が首尾よく目的を達成する、といった例は実際にあるそうです。(オウム真理教なんかもその例に含まれるのでは、と思ったり…)

というわけで、この自分や他者に危害を与えず思いやるという倫理を欠いた場合に、マインドフルネスが有害な行動と結びつく可能性について、実証的に検討することがこの実験の目的です。


能動的攻撃性

この論文の仮説は、倫理観を欠いた状態でのマインドフルネススキルが能動的攻撃性と正の相関関係を示すだろう、ということ。能動的攻撃というのは「ついカッとなって」する攻撃ではなく、もっと計画的・故意的に行われる「クールな」攻撃のこと。よりサイコパス感が強いやつです。

 

そしてマインドフルネススキルを【観察】【描写】【気づき】【判断しない】【反応しない】などの要素に分けて、それらの要素×倫理観の高い/低い→能動的攻撃性とどのような関係を示すかを考察しました、というのがこの研究です。

↓出てきた結果のまとめ↓

倫理観欠如×【反応しないスキル】が高い→能動的攻撃性、欲求固執が高くなる

倫理観欠如×【観察スキル】が高い→欲求固執が高くなる

倫理観欠如×【描写スキル】が高い→欲求固執が高くなる

要するに倫理観を欠いた状態で、マインドフルネスが高いと能動的攻撃性が高いという結果が示されたということですね。(さもありなん、と思ってしまう私ですが。。)本来マインドフルネスはむしろ攻撃性を低減させる効果が謳われており、注目に値する結果だと言える、というわけです。


環境とか、指導者とか

・何の為の瞑想なのか。(〇〇のためという回答に対して「では〇〇は何のため?」という自問)

・どのような環境下で行う瞑想なのか。(どんな仲間がいるのか/ぼっちでやるのか)

・誰の指導の下で行う瞑想なのか。(その指導者は何者なのか)

仕事のパフォーマンスアップにマインドフルネス瞑想っていうのが良いらしい、と実用書を手にする時、あるいはそのような謳い文句で広告を出している指導者や団体のセミナーなりワークショップを受けてみようかなと申込みボタンを押す時、ひとりひとりが少し立ち止まって考えなきゃいけないよなあって思います。個人的には、マインドフルネスっていうのは脳科学的にこんな好影響があるなんて研究は、大して当てにならないんじゃないかなって思っています。脳は人間のすべてじゃないんですから。